菊池源吾と名乗っていた西郷吉之助さんと愛加那さんが住んでいた居住地跡から見た龍郷湾です、あえて。

この画像ですが、ただの海ではありません。菊池源吾と名乗っていた西郷さんと愛加那さんが住んでいた居住地から見ていた海です。海が目の前で、いわゆるオーシャンビューです。

西郷さんが見ていただろう景色をよく見て来ました。「何を思って、毎日、この景色を見ていたのか、、」と思いながら。龍郷湾なので、穏やかな海が広がる場所でした。

 

安政5年(1858)、薩摩藩は、月照、橋本左内、一橋慶喜などの尊皇攘夷派と付き合いのあった西郷を幕府から守るため、西郷吉之助を菊池言語と名を返させ、奄美大島への流罪としました。当時、薩摩藩は奄美から黒糖を取り立てていて、藩の役人が赴任する地でもありました。そして「島妻」という奄美にいる間だけの妻を娶ることが許されていたのです。表向きは罪人の西郷さんでしたが、安政6年(1859)、愛加那を島妻としました。西郷さん33歳、愛加那さん23歳。大変、仲良しであったと言われています。

明治維新後、西郷さんは、賞典禄2000石が下賜されました。薩摩の武村に大きな屋敷を買い、そこに。その後、愛加那と西郷の子である菊次郎を引き取って育て、さらに、菊次郎の妹・菊草も引き取っています。

息子さんの菊次郎さんは、12歳でアメリカに留学。17歳の時に西南戦争に参加。戦争後は外務省に入り、アメリカ公使館や本省で勤務。その後も、台湾の台北県支庁長や京都市長に就任するなど、大変、日本のために活躍します。

 

奄美大島、素敵です。

西郷さんが、毎日見ていた風景を載せておきます。住んでた家はいろいろな画像がありますんで。