やっぱり武田は強かった。やっぱり家康は凄かった。やっぱり直政は偉かった。

ここのところ、ずーーと、レジメや提案書やトリプル改定の調べ物で、辟易してました。診療報酬の資料の多い事といったら半端なくて。それに、介護保険で、この3日間は障がいで。もう、トリプル改定は来ないといいですね。

私の、この12月〜2月の3か月のストレスがみなさんに伝わらないのが残念なくらいのものでした。正月明けから、今日、2月20日ですが、1日も休まず、ずっと働いています。ただ、こんな状況なのに、風邪ひいてないというのも、なんか、ね、、、。多分、休んだら、熱出すと思っています。

で、こんな辟易しているのに、これから、3月7日のICTのレジメづくりです。で、その次が、15日のトリプル改定の調べ方で、21日がファシリティです。

 

そんな時、心をホッとさせるのが、テレビの歴史ものでして、今、見てるのは、大河ドラマ「西郷どん」とBSで再放送している「風林火山」です。日曜日は仕事が終わるとこの2つをみるので、深夜までみてます。この前は、加えて、NHKスペシャル人体があったので、0:00から観だして、終わったら3:00でした。ちなみに、オリンピックも見ています。女子500mの小平奈緒のレースには涙が出そうでした。

 

話は大河ドラマに戻ります。「西郷どん」ではなくて、昨年の「直虎」の話です。「おんな城主直虎」はどうも、あまり関心がなく、柴崎コウがかわいいなってくらいのドラマかなって思っていたのですが、後半、俄然、興味が湧き、楽しみに待ってました。何が観たかったかというと、阿部サダヲの家康が好きで好きで。小心者で、心配性で、自分で決められず、今川と織田に睨まれないように、必死に家を守る。しかし、そんな境遇でずっと育ったもので、人を観察する力は誰よりも秀でていて、潰れた家の子である、井伊直政をいち小姓から、どんどん引き上げる。

直政といえば、アイドル並みの可愛さと器量と並外れた才覚で、徳川家臣団の底辺から這い上がっていく。直政は沈着冷静にもかかわらず気性が激しく、戦いになると最前線でみずから槍を振るう人だったと言われています。そんな直政を家康も信頼し、どんどん加増して大事な仕事をさせるようになります。あの本能寺の変の伊賀越えも直政はお供していました。本当の重臣だったことの証明です。その時の年齢が、まだ、22歳というのだから、その才覚が抜きに出ていたことがわかります。

同じ年の、家康は、滅亡した武田家の旧臣から人材を求め、74人の武田遺臣を召し抱えます。とても大事な人事なわけですが、なんと、その有能な武田の精鋭をそのまま若年ながら群を抜く器量を表わし始めた直政に託します。戦国最強の武田の精鋭の「武田の赤備え」にあやかった部隊とし、「井伊の赤備え」としました。今でいえば、広島カープの赤ヘル軍団でしょうか、強いはずですね。←ちと、話が違いました。
そして、その井伊の赤備えが天下に知られる機会は、天正12年(1584)に訪れます。羽柴秀吉との小牧・長久手合戦です。戦線の膠着に秀吉は、三好秀次、池田恒興、森長可らの別働隊に家康の本拠・三河を衝かせようとしますが、家康はこれを察知し、自ら軍を率いて三好らの別働隊を追います。その先鋒に、直政の赤備えがいました。そして白山林で三好隊を潰走させた徳川軍は、長久手において池田、森隊と衝突。この時、赤備え3000を率いる直政は自ら先頭に立って、池田隊4000と激突します。池田恒興、森長可は織田信長の時代からの歴戦の強者(つわもの)でしたが、直政らが池田恒興軍を殲滅させ、家康も自ら森隊を駆逐し、徳川軍の圧勝となりました。この時の直政の奮戦で「井伊の赤備え」は天下に知られ、先頭を切る、赤い兜に角のような金の天衝きを配した姿の直政は、「井伊の赤鬼」と呼ばれるようになります。

小牧・長久手の戦いで、秀吉は、多くの木下一族と池田、森などの重臣を何人も失い、「徳川恐るべし」との思いから、その後は、徳川とことを構えることを決してしませんでした。徳川にとって、とても重要な戦いであり、その中心で活躍したのが、井伊直政でした。

 

お分かりのとおり、井伊直政軍の中核を成したのは、旧武田の精鋭です。そう、やっぱり武田が強かった。そして、敵の武将である武田の旧臣を切るのではなく、みずからの家臣として召し抱えた家康も凄かった。で、潰れた家の子と陰口を叩かれながら、才覚一つで、ついには、「井伊の赤鬼」と呼ばれ、彦根18万石まで出世する直政は偉かった。直政は、政治家・外交官としても有能で、多くの大名との交渉にあたりながら徳川幕府の礎を作っていきました。直政は、相手が立つように心を砕き調整をするような人だったそうで、外様の大名で徳川幕府は信用しないが直政は信用したという大名がいたそうです。直政は幼少のころから苦労に苦労を重ねて出世していったので、人の痛みが分かり気がつく人でもあったのだと思います。

井伊家は、直政のあとも、歴代優秀な当主が出て徳川幕府を支え続けます。

 

話が長くなりましたが、私の気晴らしにお付き合いいただき、ありがとうございました。これを書き終えるまでに、ざっと40分ほどかかりました。レジメを作るより楽しい時間です。

今、0:44です。これで今日も頑張れそうです。