HMSエリートを始めてから7年、第13期生を迎えることになりました。
そして、こんな一文をレジメに書く時が来るとは、感慨深いです。なんで、今回から、内容を大きく変えました。
- 勝つも負けるも、経営企画室の能力次第!
- 経営企画室として、関ヶ原の戦いに参戦できるのは「誉」である。
- 絶対に「勝て!」。
講師から:「ついに、この時期を迎えたことを、ある意味、感慨深く感じています。皆さんは、司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」を読んだり、DVDを観たことがありますか?私が一番、印象に残っているシーンがあります。それは、、」
そう言えば、関ヶ原で徳川四天王の一人、井伊直政の子孫の方が、後継の子を関ヶ原に連れて行き、「私たちが、こうして生きているのは、ご先祖がここで戦って勝ったからだ。感謝の気持ちを忘れずに、井伊家の誇りを持って生きなさい。」と代々、伝えているという記事を読みました。
そういう時期が始まりますね。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」冒頭
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。
たれもが「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、軍人にも、成り得た。
この時代の明るさは、こういう楽天主義(らくてんしゅぎ、オプティミズム)から来ている。今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。 財政の成り立つはずがない。が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。が、ともかく我々は三人の人物の跡を追わねばならない。四国は、伊予松山に三人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるに当って、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇跡を遂げた。もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、 その中興の祖となった俳人・正岡子規である。
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。上って行く坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。