秋山真之が、「バルチック艦隊と戦う戦略・戦術は、すべて君に任せる。」と言われたのは、アメリカ留学で、米西戦争を学び、その報告書の見事さからです。

秋山真之が、「バルチック艦隊と戦う戦略・戦術は、すべて君に任せる。」と言われたのは、アメリカ留学で、米西戦争を学び、その報告書の見事さからです。

秋山真之の三男さんは、父である真之が「バルチック艦隊には絶対に勝てる」と自信満々だったと言われていたことを覚えているそうです。

また、戦場では何を考えていたのかの問いに「いつも祈っていた」と。どんな風に?というと「神様、日本を勝たせて下さい」という答えだったそうです。

明治政府は、お金も無いのに、国費で、多くの若者を留学させていました。そして、行政のあり方、陸軍のあり方、海軍のあり方を学ばせています。

学ぶことの大事さが分かりますね。

そして、兄の秋山好古が、弟の死後、「弟の誇れることは、常に、国の事を常に第一に考え続けていたこと。」と言われたそうです。

だから、マインドセットと教育が車の両輪であることが分かります。

勉強し続ける人である秋山真之は、艦隊戦であれほどの勝利をもたらしたのに、日本海海戦の後、「これからは飛行機と潜水艦の時代が来る。君たちは、その勉強を怠るな。」と言っていたそうです。

今日の、坂の上の雲ミュージアムに来ていると「俺には関係ないから、もういいわ、先行ってよ。」とか「私の父親は、戦争に行ってて、そこそこ偉い人だったらしいけど、戦争の話は何も言わない。そこまで、入り込めないだよね。」と隣の人に話をしている人を見てます。

まあ、司馬遼太郎さんを崇拝する人、ファンの人が多くいる一方で、このような意見の人たちが沢山いると理解していますし、否定するものではありません。ここは難しい評価ですね。理解しています。

長く、このブログを書き続けていますが、司馬遼太郎さんや坂の上の雲の話を書かなかったのは、「あいつは右か」「あいつは国粋主義者か」と言われるが嫌だったからです。

私は、明治の人たちが、人も金も知識も無いというよりは、あまりに貧しい中から国を守りたいという一心で、みんなで力を合わせてロシアに挑んだし、近代国家になろうと苦悩して、でも、真っ直ぐに目標に向かって、あらゆることを犠牲して進んで行った姿に、ただただ、頭が下がるし尊敬もするし憧れるのです。

ひとつ、司馬遼太郎さんは、太平洋戦争については小説にしているわけではないんですよね。