ブログ読みました、って言われるんです。「長篠の戦い」です。管理職の人には響いたようです。

載せてから連続で、「ブログ読みました。」って言われました。「今日は、あの長篠の戦いの日です。」です。

どうも、管理職の人には響いたようです。歴史を学ぶ意味は先人の知恵を学び、これから生きる糧にすることですよね。年号を覚えたりすることではないわけで。「その時、何を考え、どうしたか。」ですよね。

「働く上でプラスになったり、生きて行く上で元気になっているのであればうれしいです。」とお答えしました。

「そうですね、、、あれには、考えさせられました、、」でした。

少々、複雑ですが、真面目に法人を守っている人たちには共感するところが多かったようです。

私も含め、経営者は頑張らないとね。

 

本当に、多くの方に読んでいただけているんだなと思います。お読みいただいている皆様には、深く深く感謝いたします。今日も、「ストーカーのように、先生のブログを読ませていただいています。」と言っていただきました。責任ありますね。

一番読んでいるのは私自身で、その日その日のできごとや感じたこと、考えた事、頭を休ませて活性化るためのギャグ(TさんNさんには、いつも、申し訳ない、とは思いつつ、最多出場でして。ぶなどを書き留めていまして、それを読み直しながら、知識や情報や笑いのネタを出し入れしています。

 

(2018年5月21日のブログから)

「今日は、5月21日、あの長篠の戦いの日です。多くの稀代な名将が命を落としました。一人の経営者のために。」

時代が変わり、戦い方が変わったのにもかかわらず、昔の成功体験を引きづり、多くの優秀な部下を鉄砲と馬防柵の前に失いました。武士とは儚いもので、そんな無能な経営者ためにしんがりを務め、勝頼を逃がすために奮戦しながら次々と倒れてゆきます。この経営者は、部下からの信を失い多くの家来が家を去り、結果として、武田家を滅亡させてしまいました。

昨日と同じ今日はなく、今日と同じ明日はありません。特に、今日(こんにち)のような時代の変わり目は潮目そのものが変わるので、そんな経営者には容赦がありません。

そして、それ(時代の潮目)が見える人と見えない人がいます。経営者は誰の声を聞くかですね。例えば、島津斉彬、松平春嶽、鍋島閑叟、吉田松陰、高杉晋作、橋本佐内、吉田東湖、などの多くの賢明な人々には見えていた。しかし、ぬるま湯につかり、小さなコミュニティーの中で暮らしていた幕府の人々には見えなかった。もちろん、勝海舟などの幕臣にもいました。

経営者は誰の声を聞くかです、本気になって。

 

(2018年5月22日のブログから)← これも、異業種の方に入ってきて読んでいただいているようです。

「逸話「ほとけの中村」と言われた中村明人さん」

中村明人は、大日本帝国陸軍の軍人でありタイ王国の駐屯軍司令官だった人です。

戦時中、日本とタイは同盟国でした。しかし、戦況が不利になると、状況は一変します。そんな状況の中、中村さんは司令官につきます。当時、タイには抗日組織がありました。戦況が不利になると、厳しい締め付けが行われるもので、軍人が武力で統治することを考えがちです。

しかし、司令官である、中村中将は「戦争は一時的なごと。長い目で日本とタイ関係を見ると相互に戦争や占領という汚点は残すべきでない。」として強硬派を抑えます。結果、戦争終結まで血が流れることなく、戦後も日本とタイの良好な関係は続くのです。

戦後、中村さんはA級戦犯として巣鴨プリズンに送られます。しかし、釈放されます。その後、企業人としてご活躍されるのです。

優秀な人は見えているものが違うのです。中村さんには、今を見ていながら、日本とタイの50年後100年後が見えていたのです。

今も大事ですが、5年10年50年後もちゃんと見るのが経営者や管理職なんでしょうね。