昨日は、とってもいいセミナーでした。そう感じたのは、セミナーが「WJU人」としてではなく「日本人」として、日本人のプライドとして障がいのある人たちも一緒に生きることが出来る世の中になって欲しいと言うマインドが3人のプレゼンターからおいでいただいた皆さんに伝わったからです。
相模原障がい者殺傷事件の被告の彼は、自らの主張を獄中から情報発信しています。命の価値について他人が決めること許されることではないことは常識の範囲で分かることです。命については、人間だけではありません。ペットの命だって同じです。人間の都合で決められることではありません。
生活弱者についてはどうでしょうか? マイノリティの人たちはどうでしょうか? 自分たちの肌の色が違うといのはどうでしょうか? 国籍が違うと言うのはどうでしょうか?
私は、こう思っているのです。「障がい者事業は、日本人のプライド(誇り)」だと。元気な人もそうではない人も、みんなが一緒になって未来に向かって進んで行く。いろいろと不都合はあるでしょう。しかし、それを乗り越えて進む。それに愚痴を言わず、みんなと笑って、みんなを励ましながら進む。それが「大人の嗜み(たしなみ)」だと。
なのですが、現実的には、圧倒的に、需給のバランスが崩れ、プレーヤーが足りないのです。なので、私に出来ることは、介護事業をされている事業者さんに障がい者事業をしていただきたいと思い、企画をHMSさんに持ち込みました。趣旨をご理解いただいた、HMSエリートの卒業生の松岡さんとWJUのお客様である征峯会の理事長さんがプレゼンのお引き受けをくださいました。
*たしなみ:慎み。普段の心がけ。
私が、HMSさんに企画を持ち込んだ理由をご説明します。
私、仕事で、児童相談所に伺う機会があるんです、コンサル先さんに対する地域の期待・ニーズを確認するために。その時に、必ず言われるのが「ショートを増やして欲しい。」と「もっと、いろいろなサービスを提供して欲しい。」「地域でのプレーヤーが足りない。法人さんには期待しています。」と言う言葉です。いつも、建物を出てくるときに呟くのが、「ああっ、圧倒的に供給が足りていない。」「事業者は努力が足りないな。」「もっと出来る。」という感想です。
そして、法人の経営報告会でこの話をすると、およそ興味のない生返事ばかり、「今、法人は困っていないから、何も新しいことを始める必要なんかない。」「今から苦労して、やったこともないことなんかしたくない。」「ノウハウも人もいない。」ひどいのは「このまま何もしなくても20〜30年は大丈夫。」と言う答えです。
「だって、このまま何もしなくても20〜30年は大丈夫なようにしてくれたのは障がい者事業でしょう?こんなに困っている、自分たちの法人に利益をもたらせてくれた人たちが、24時間365日、自分の人生を捧げて障がいのあるこども達を守っているのに、『今、法人は困っていないから、何も新しいことを始める必要なんかない。』『今から苦労して、やったこともないことなんかしたくない。』『ノウハウも人もいない。』ひどいのは『このまま何もしなくても20〜30年は大丈夫。』はやばいでしょう、と。」でも、ほぼ、無回答でした。
ならば、成長志向が強く、現・障がい事業を行なっている法人さんよりも経営力があり、資本力のある法人の経営者の皆さんに、「障がい者事業をやりませんか?」という話がしたい、と言うのが理由です。
私が障がい者を通して見ているものをご説明します。
私は、障がいのある人たちに対するマインドは、その人の死生感、他人に対する自分、命のあるものに対する自分、他の国に対する自分、自然に対する自分など、アイデンティティの本質的な部分が出てくるところだと理解しています。
私は、縄文時代に物凄く惹かれるのです。あの頃は、神とともに生き、森とともに生き、祈りとともに行き、助け合って生きていたのだろうと思っています。なので、非合理的で不便な縄文土器で煮炊きをし、神とともに生きるために暖炉を真ん中に起き、外に出ても神に守ってもらうために首飾りや刺青をして、土器を作りみんなで輪になってシャーマンと共に祈る。
よほど人間の情緒に合っていたのだと思います。縄文時代は1万年も続きました。
私、見てないので分かりませんが、縄文時代は、人は優しかったと思います。理由の一つは、縄文時代、人は犬を食べることはなかったと本で読みました。(縄文人に知り合いがいないので確かめられせんが、、)
しまいには、「自分で障がい者事業を始めたい。」と考えるようになっている、今日、この頃です。
昨日は、とてもいいセミナーでした。次回も企画いただけると思いますので、頑張ります。