今、スタバで仕事しながら、MISIAの歌を聴きないていたら、どうも、感情が安定せず涙腺が柔らかくて困っています。なんか、先月は、若い跡取りの女子を泣かせてしまった時に「おじさんはこの年齢になると涙も出ないよ。」と悪たれをついていたのですが、、
MISIAの歌でスイッチが入ったのは、昨日、埼玉と鹿児島のエリート受講生が話をしていて、ちょうど同じくらいの規模(そこそこ大きい)で「いろいろ話をした方がいいよ。」から始まりました。埼玉の法人さんが地元でガソリンスタンドをはじめとして多くの事業している。鹿児島の法人さんは県下でも誰が知っている大手さん。両方とも出自が違うにしても似たもの同士なんで、知り合いになればいいなと。
私が、埼玉の法人さんに、「こちら(鹿児島)の法人さんが建設会社の会長さんの法人なんだけど、創設の経緯が変わっててね。」から話し始めたんですが、少し話をして「あっ、これ以上は話できないわ、涙が出てしまうので、、、」と。「私は大丈夫、話ができます。」と鹿児島の法人の受講生が話をしてくれました。
私が話をしようとしたのは、「こちらの法人さんはね、特攻隊の生き残りの方が創業者さんでね。友達の特攻隊員が生き残った方が相手の親の面倒をみようと作った法人さんでね。理事長さんからは、戦場で命を落とした名も無い若者が国に送った手紙をカードにしてあって、それを私にくれたんです。」というはずでした。
この話を鹿児島の法人の受講生がしてくれましたが、埼玉の法人さんの方は、この話の時は、それまでの笑顔から真剣な顔になって、うなずきながら聞きいってました。で、そのあと、鹿児島の受講生の笑顔で、「人の話は聞かない。」「自分が言いたいことを喋ったら、人前でもすぐに寝ちゃう。」「言い出したら、ただの頑固者。」との話には、二人とも笑顔に戻ってました。
法人の設立のきっかけは千差万別ですが、こういう法人もあるんですね。私は、この話をお聞きした時に「絶対がんばろう。」と心に誓ったんです。会長さんからいただいた戦地で短い一生を終えて若者が書いた手紙を大事に取ってあります。
昨日、なんとなく声を掛けたところから、久しぶりに鹿児島の法人さんの設立の物語を思い出し、年頃の息子がいる親として、あってはならない世界を現実のものとして受け入れた若者の想いが体から出て行かず、MISIAの歌を聞いたら、若干おかしくなりまして。
息子の死を電報の紙一枚で、受けたいれた親御さんを想像すると体がきしむほどの感情が支配します。人間とはなんと愚かな一面を持った生き物かと、、
美空ひばりの「川の流れのように」でも聴き直して、気持ちを立て直しておきたいと思います。
これから横浜に行って仕事ですので。