稲盛さんのお陰でどれだけの経営者が救われたことか。
京セラが創業のころ、その技術がない注文を取って来て、徹夜で作って納めて技術を上げていったと本で読みました。
また、町工場の時から世界的な企業になると若い社員に言っていたと。
ご年齢を重ねてからは、教育がもっとも重要だと言われご尽力されました。
マインド、モノの見方考え方を大事された方です。
鹿児島市出身。鹿児島大学工学部卒業後、会社員を経て1959年に京都セラミック(現京セラ)を設立、66年に社長に就任した。小集団単位で厳格に収益管理する「アメーバ経営」と、積極的なM&A(合併・買収)を原動力に、京セラを電子部品から携帯電話端末、太陽電池、事務機器まで手がける世界企業に育て上げた。
通信自由化をにらみ、84年に第二電電を設立して通信市場に参入。KDDなどとの合併を経て現在のKDDIを誕生させた。2005年に京セラの取締役を退任し、経営の第一線から退いた。その後、経営塾「盛和塾」と、文化や技術の発展に貢献した人を顕彰する「稲盛財団」の活動に軸足を移した。