酒田市の佐藤さーん、10月30日、県の社協さん主催の研修講師を務めるかもしれません。前日の29日はダイワロイネットを予約しました。飲みませんか?
もう、何年会ってないかね? きっと、ちょっと顔が老けたんじゃない(笑)?私は確実に老けました、はい。
良かったら、社協さんの研修が決まったら、講師の名前が本間になっているか、確認して下さい。楽しみにしています。
このブログをお読みの皆さん、庄内藩は、戊辰の時、幕府側で最後まで戦って、薩摩と長州に勝って勝って勝って、たまに負けて、城下や城を焼かれることなく降伏し、かつ、国替がなく、切腹する武士を出さず、領地を没収されることなく、そのまま街も残った藩なんです。
理由は3つ、新政府軍の総大将が西郷さんだった幸運。本間家が多額のお金を積んだから。そして、領民が酒井の殿様を慕って新政府軍に懇願をしたからです。特に本間家の存在が傑出しています。
私の本間家は佐渡で上杉景勝に滅ぼされた本間家で、酒田の本間家とは違います。しかし、坂東武士として鎌倉幕府に支えていた当時は、一緒の本間家です。別れたのは、元々が神奈川県の海老名市に本拠があった本間家は、鎌倉幕府で大活躍。酒田、佐渡、静岡、東京に土地をいただきました。我が方は佐渡に渡り、佐渡を統治していたのです。