実は、予定では、今日、関西に移動する予定でしたが、まだ、沖縄にいます。
わたくしごとで恐縮なのですが、私の母親が、24日の朝に、救急搬送されまして、午後には「ご家族を呼んで下さい」となり「今日か明日が山です。」と言われてたんです。病名は書きませんが、急性OOで、助かることはないと。
24日の夜は、Mr.Katoで懇親会なので、そっちに行ってましたが、、、。24日は夜通し覚悟してましたが病院からの呼び出しはなく。なんと、25日も。そして、25日には意識が戻り、うっすら目を開けて話ができるという感じで、ただただ、感謝と驚きで。今日の26日には、私がはっきり分かるようで。さすがは、私を産んだだけのことはある、超人の体力だと。
予想では、今日が火葬場かと覚悟していたのですが、奇跡か体力か偶然か、意識を取り戻して話までして、、、感謝しかないです。あのまま行かれていたら、何もわからないまま目の前から消えていたので。
で、25日はある法人さんで施設長研修をしていたのですが、連絡で「今なら、話ができるかもしれないから病院に来たほうがいい」との連絡で、「皆さん、驚かないで聞いていただきたいのです。実は、私の母親が危篤でして、、」と言ってご説明し、WJUの障がい部門のコンサルタント赤松さんに後を託し、病院に向かいました。
ここから、不思議なことが、、、、。兄と二人で「凄いね」と。
ベットの横で寝ていた母親が意識を戻し、ろれつがまわらないで、モゴモゴ言っているのですが、あきらかに嬉しそうに興奮した感じで「楽しかったー」と聞き取りにくい感じで言ったのです。兄が「夢見てたの?どうしたの?」というと「新潟に行って来た(生まれ故郷)。楽しかったー。」と。兄が「そう、それは良かったね。みんな居た?」と尋ねると、何度も頷いたのです。ちなみに、母は、母の両親、兄弟の最後の生き残りです。兄が「みんな元気にしてた?」というと「うん、みんなが早くおいでって」と。私、思わず、心の中で「マジか!?」と。
みんなが「早くおいで」に「分かった」と言って帰って来てくれたわけで、結果、意識を取り戻した的な。
明日の夕方、2度目の精密検査の内容を主治医の先生から説明を受ける予定です。どうなるかは分かりませんが、今日明日に行くという感じではないような、、。
私は、この仕事で自分で会社を立ち上げた時から、親の死に目には立ち会うことはないだろうと思っていたので、たまたま、沖縄に来ていた時にこんな感じになったので、逆にありがたいと思ったのですが、でも、日曜日には、伊予松山に移動して、そのまま北海道ですので、もはや、もう無理なのは覚悟しています。私は、そういう仕事を選んだので。
この手の話は、父親とも母親ともして来たので、悔いのないように、いろんなことをしてきたという自負はあり、もう、黙ってその時を待つだけです。いつも、父親も母親も「感謝しているから大丈夫だよ。いっぱい、いろいろと世話になっているから。」と言ってくれているので。今日も父親は私に「感謝しているから大丈夫だよ。」と言ってくれていました。
明日、明後日は、病院で、母親と夢の話をして来たいですね。ほんと、最後の親孝行になりそうですかね。
母親は89歳です。