1939年〜1940年にかけて、ドイツは西ヨーロッパに侵攻します。そして、次々と降伏。残るのは、ドーバー海峡を挟んだ先にあるイギリスだけになりました。そのとき、イギリスの首相は、ウィンストン・チャーチルです。ドイツは総裁のアドルフ・ヒトラーです。
両国の攻防は、飛行機の戦いから始まります。はじめは一進一退でしたが、徐々にドイツ優勢となります。ドイツはイギリス軍の施設に攻撃を繰り返しました。ここで、チャーチルは奇策にうって出ます。ベルリンに爆撃機を主撃させたのです。ヒトラーは怒り、イギリスの市街地に爆撃を開始します。爆撃は半端な回数ではありませんでした。爆撃は8か月に及び、家を失った人は100万人。死亡者43,000人にのぼりますした。
この間、国際的にも、強きの宰相として名を馳せたチャーチルは爆撃にあった街に駆けつけ、市民の肩を叩き、語り続けました。「イギリスは決して屈しない。勝つまで戦い続ける。」と。チャーチルは、ウィットに富んだ会話と愛嬌で、国民から愛されていました。戦争をするときには、コンサルタントの意見を聞き、現場の声に耳を傾けました。そして、最後は全責任を負って決断し続けます。
イギリス魂はすごいですよ。みんな、防空壕と地下鉄で暮らしました。そして、毎朝、いつものように、なんごともなかったかのように、カバンを持ち職場に向かいました。こんな話しもあります。ドイツ軍によるロンドン空襲のときにサッカーの試合をしていた。さすがです。イギリス人は、どんな時でもいつも通り生活し、どこででも戦うという、不撓不屈の精神を持った人たちなんですね。
ドイツが市街地に8か月も爆撃をしている間に、イギリスは2つの手を打ちました。一つは空軍を立て直し、戦力を回復させていました。そして、もう一つは。外交努力でアメリカ合衆国を参戦させることに成功したのです。それから、間もなく、イギリスが屈しないとみるや、ドイツは戦場を東のソビエトに移します。ここからヒトラーの転落が始まります。
ヒトラーはチャーチルとは真逆で、劣勢になるや、その責任を部下に転化して、次々と有能な幹部を更迭します。最後には、最も大事な参謀会議をヒトラー一人で開けるほど一人で要職を兼務してゆきます。彼は部下の話しを聞くこともなく、戦争の素人が、次々と作戦の指示を出しては失敗することを繰り返します。さらに、ドイツ国内が空襲され始めると、「ドイツ国民に絶望した。」と語り、被害地に駆けつけることもなく、地下壕にたてこもります。
この対照的な2人はいつの時代にも比べられます。法人が厳しい状況に追い込まれたとき、経営者はどのように考えて行動すればいいのか、教えられます。今、全国の病院の6割は赤字と言われています。
国民から受け入れられたチャーチルになるのか国民を絶望に追い込むヒトラーになるのか、決めるのは、経営者のマインド(素)であり、物の見方と考え方です。私のクライアントさんには、ウィンストン・チャーチルになっていただけるように、ご支援したいと思います。イギリス魂はすごいですね。「屈しない。絶対に屈しない。どんなに攻撃されようと、いつも通り暮らしてみせる。」。素敵です。
今日、仕事に行ってて、この2人の話しを思い出しました。
国も法人も最高責任者(経営者)が全てを決めるんです。NO.1でこれだけ違うという教えです。NO.1の差は有事になればなるほど、その違いが出るものです。私もかくありたいものです。
いつか、日立の川村さんのお話しもしたいと思います。
勉強になります。