情報を与えてくれるのは人です。また、仕事をしてくれるのも人です。できるだけ多くの人にあって、いろいろな話をするように心がけています。昨日もある方と話をしていて、「首都圏は、いまでも、高齢者の福祉の相談は、毎日、引きも切らず一人一人にしっかり対応が出来ていないのが現実です。」とか「看護師資格があるだけで、そんなに仕事をしていないのですが、私の約5倍の給与をとっているんです。これってね、、」と。「同じ仕事をしていて5倍の格差があるのか、、、首都圏の事業所で。同一労働同一賃金になったらどうするのかな。」と。
こういう話を聞くと、「東京、神奈川、千葉、埼玉の人口が多い所にある法人は、学ぶ気はないだろうな。だって、需要が多すぎて困り果てているくらいなんだから。地方とはエライ違いだな。」とか「ああ、首都圏は介護難民が出るな。」とか「入口の相談支援業務は対応しきれていないし、手付かずなんだな。」とか「人事制度・人事考課制度なんて有名無実なんだな。」とか「首都圏に、地方から強い事業者が出てくるな。」とか。
また、私が障がいに思い入れを持つようになったのも、いろいろ人との話の中からなわけで。先週の金曜日も長崎で、「今から20年前の話ですが、納屋に入れられていた障がい者の女性を保護しました。風俗で働かされていたんですよ。」と言われていました。あり得ない話ですが、日本には昔からあった話です。今は、人権擁護が浸透して来て、そんなことは許されませんが。
「本間さん、ほんと、利用者と利用者の家族の考え方が変わりまして、保険事業という考え方が理解できず、ある意味『お客様は神様だ。』という感じになって。私は、利用者を『OOO様』と呼ぶことがいいことなのかと思います。だって、9割は国が負担している事業なんですから。」と。「これ、どうしたら、いいんですか?」と言われました。
私は、いつも「福祉とサービス業は違う。」とお話ししています。「福祉は利用者と利用者のご家族の自覚から。」とお話ししています。また、福祉だからと言って「してあげている。」と言うわけには行きません。なので「人を人として、敬意をはらい、尊厳と習慣を守ることから、保険制度の中で何ができるかを考える。職員の全てが学習し、みんなが同じ、モノの見方と考え方になるのが大事。」とお話ししています。
私、よく勘違いされるんです、これを言うと。その話は、「介護の質は何が決めるかと言うと、国の財政が決める。だって、お金がなければできないから。教育もそうでしょう、どんな音楽の才能があってもご両親にその財力がなければ一流の音楽家は雇えないわけで。」と。そうなると「人権は?」と言う言われ方をします。なんで、さっきの、「福祉とサービス業は違う。福祉は利用者と利用者のご家族の自覚から。」「人を人として、敬意をはらい、尊厳と習慣を守ることから、保険制度の中で何ができるかを考える。職員の全てが学習し、みんなが同じ、モノの見方と考え方になるのが大事。」と。
なんで、「ああ、難しい時代になった。地域によっては隣の法人との比較がされるようになることでしょう。」で、「これからは「躾(しつけ)」だな」と。利用者とご家族と良好な関係を作り、地域から支持される職員を作る「しつけ(躾)」です。