「待てない社会」
待って、待って、待ちに待った春がやってきた。夏秋冬もまずまずだが、杉花粉を割り引いたとしても全ての生物が蠢き出す春がやっぱり一番素敵だ。北国の人々は、じっと待っていたのだ。
季節もその一つだが、「待つ」以外には方法の無いものがある。私が最も長く待ったものは何だったろうか。
10歳の時にそれを知ってから27歳まで待たなければならなかった、その妖精の名前は「ハレー彗星」。1910年に地球に現れた時は西の空から東の空まで真っ白な尾を靡かせていたというのだから天文好きの少年が憧れないはずがないのだ。私は春を待つように彼女が来るのを17年間じっと待っていた。私の長女が生まれた年、彼女は76年ぶりに再び地球にやってきて、長い尾を振って私にお祝いを言って去っていったのだ。1986年は私にとって記念すべき年となった。
自然と上手に付き合う最良の方法の一つは「待つ」ことかも知れない。できれば備えて待つことだ。どんなに格好つけたところで、所詮人間も自然の一部に過ぎない。だとすれば、人付き合いの最良の方法の一つも「待つ」ことではないか。特に子供を待ってやることは何ものにも換え難い大切なことに思える。最近よく「何やってるの。早くしなさい。」と子供を怒鳴る母親の声を耳にし、胸を締め付けられるような思いをする。「待てない社会」になっているのだ。「待たせない社会」は何時しか「待ってくれない社会」となり「待てない人々」を大量生産したのだ(と思っているのは私だけだろうか)。それだからこそ子供だけは待ってやらねばならない。子供のことをじっと待つほど愛情と忍耐力を必要とするものはないのではないかしら。大人の愛情に支えられて十分に待ってもらえた子供は、自ずと強さと優しさを備えていくのではないだろうか。そして待つことを学び、今現在がどうであろうが「未来を待つ」ことができるようになるのではないだろうか。親でさえも子供を待ってあげられない超慌ただしい社会。子供たちを誰かがいつも待ってくれる場所を作ってあげたいと心から願って止まないのだ。
長女が、忘れたころに「父さん、ハレー彗星一緒に見ようね。」と言ってくれる。この願いが成就するとき長女は76歳、私は104歳だ。それまで待つことは不可能なことを重々承知しながらも、この時ばかりは「私は世界一の幸せ者だ。」と錯覚させられるのである。
今日も、WJU全国会の山下さんと話しをしていました。「信じられないくらい、目を背けたくなる様な事件が多く、なんなんでしょうね。」と。山下さんは「もう、目が記事を読もうとしない。目が嫌がって文字を見ても脳に信号がとどかない。」と。
庄子さんと、渋谷の事件の話しをしたいと思っていまして、何度かメールのやり取りをしていたのですが、本日、この投稿をいただきました。
この投稿を何度も何度も読んで、消化してみたいと思います。