今、有名人の方々が自ら命を絶ってしまうことが続いています。とっても残念で、どうにかならないものかと思いますね。
心を病む人は、真面目な人が多いといいます。辛いことがあると、その原因を自らに向けて、内側に内側に入って行ってしまうのでしょうね。
私の父親の弟さん、私の伯父さんになる人ですが、とっても残念ですが、同じように、若くして自ら命を絶っています。多くの兄弟がいる中で、一番、仲が良かったということで、父の悲しみはいかばかりであったかと思います。
私の父は、今年で93歳になっていますが、いまだに、亡くなった伯父のことについて「悔やんでも悔やみきれない。」と語ります。いつも、その愛する弟がいかに素晴らしい人間であったかを、昨日のことのように話をします。多い兄弟の中で、突出して勉強ができ、将来を嘱望されていたと聞いています。そして、「本人は先生か研究者になりたかったんだ。生家の商売を無理やりさせるべきではなかった。」と寂しそうに言います。
私は、人間には、「人として生きる。」という教育が必要だと思っているのです。このことは、宗教が担っているのですが、日本人は、どうも、宗教が苦手な国民のように思えます。
なので、HMSエリートでも、全国老施協エリートでも、「マインド」や「物の見方と考え方」の話をするときに、「人として生きる。」というところをお話しするようにしています。
私は、
「人生は、辛いことの連続で挫折の連続で、大変なことばかり。そして、たまに素敵なことがある。人生なんて、そうしたものだ。」。
「良いことと悪いことは同じ、『量』、起こる。良いことには、『お陰様で。』と感謝して、悪いことは、『努力して克服して普通のことにする。』と考えることが大事だ。」。
「良いことに感謝せずにいると、悪いことに心を病んで自分の不運を嘆く人になる。」
「変化は常。」。
「百回悔やんでも過去は変わらない。常に、前を真っ直ぐみて、進むだけだから。」。
「人生は、上り坂と下り坂で、平はない。常にどちらか。そして、突然『まさか』が起こる。そんなものだ。」。
「一喜一憂しない。命まで取られることはない。」。
「人は、自分が相手に思っているほどこちらのことは思っていない。なぜなら、相手にも事情があるから。」。
「地球は自分中心に回っていない。」。
「できることは、ベストを尽くすだけ。あとは神様が決めてくれる。」。
「もう、どうしてもダメだと思ったら逃げちゃえ。大事なのは命だから。あとは、誰かが、どうかしてくれるから。」。
などなど。
「心」は、その人固有のもので、他人がどうこういうものではありません。
ただし、話しを聞いたり、想いに共感したり、求められれば提案をしたり、相手が欲しいと感じれば激励したりはできます。
そういう人が近くにいるといいですね。
私のところには、仕事柄、年に1回くらい、そんな類(たぐい)のメールが来ます、例えば「全てを終わらせたい。」的な。
でも、こういう人は立ち直ります。「何がありましたか?」と返事を返し、それに、メールが返ってくると、まずは大丈夫です。
怖いのは、誰にも自分を伝えられない人です。ここは、どうしたものかと思いますね。
やっぱり必要なのは、「仲間」と「予防」ですね。
なので、私は、経営者の人たちや経営者の息子さん娘さん、法人経営の要を担っている人たちには、「友人を作りなさい。」と言っています。
友人にも、「地元の友人」と「仕事の友人」があるので、「仕事で悩んだ時に相談できる友人は、努力で作れるよ。」と言っています。
どうしたら、良いですかね、、、記事を読むたびに残念ですね。
我々、年長者ができることをこれからも考えて行きたいですね。
真っ直ぐ前を向いて進むことですね、やっぱり。