「本間さんは家にいなくて、どうやって子育てしているのか?」と、奮闘中の子育て新人世代の方から言われるので。

ここからの話は、私の個人的な意見です。新学期で自ら命を絶つ子供をどう守るかとは別の話です。この内容で、何か、子育てで悩んでいる方の助けになれば幸いです。仕事に行くと子育ての話が出てるので。

「本間さんは家にいなくて、どうやって子育てしているのか?」と、奮闘中の子育て新人世代の方から言われるので。

 

私の子供は2人です。仕事ばかりで何もしてあげられない親です。子供は、私が何をしている人か知りません。やっと、この頃、どうやら病院とか福祉の法人に行っているらしいと分かった感じです。

 

私は、自分の子供に「人はどんな環境でも育つ。」「姉弟は仲良くしろ。」「親を大事にしろ。」としか言いません。私は、「勉強しろ。」とは、一度たりとも言ったことがありません。そうすると、「本間さんのお子さんは、勉強できるからでしょう?」と言われるのですが、結論から言えば、学校の勉強はできません。息子の通知表をお見せしたいくらいです。私は一言「あらっ。」と。

私は、「学校は勉強しに行くところじゃない。幸せになる方法を学ぶところだ。学校のいろいろなものをみろ。」「一喜一憂するな。」「いい事と悪いことは同じ量だけ起こる。悪いことは普通の事にする努力をし、良い事には感謝して徳を積む事。徳とは、人に親切にしたり、声をかけたり、周りに気を使え。」「何事も考えて考えて考えろ。」「ご先祖様、親戚、父親のおじいちゃんおばあちゃん、母親のおじいちゃんおばあちゃん、父親と母親、兄弟がいることを忘れるな。」と話をしています。

ちなみに、私は、たまーに、仕事先の法人の職員さんから「私は親から祝福されて生まれていない。」と言われることがあります。その時に、「あそっ、じゃあ、おじいちゃんも? その親も? そのまた親からも? そんなことはないと思うよ。みんな、生まれてくれてありがとうと言ってくれると思うよ。」と言います。だから、「お墓参りにでも言って、手を合わせて、ご先祖様に聞いてごらんよ。私は祝福されていないんですか?って。分かるから。」と。

話は戻ります。私は、彼ら(娘と息子)が決めたことを否定することはありません。だから、放任と言えば放任でしょうか。だから、自分で決めて、随分と痛い目にあって、傷ついたこともあります。

私が、彼らに言っているのは、「自分の始末は自分でしろ。」です。

先月も、バスケのインターハイのベンチ入りの最後の最後に外されて、車の中で泣いていましたが「しょうがないね。」と一言だけ。まあ、上手に立ち振る舞えば入れたかもしれないのですが「おまえがそんなことで下級生を外して自分がベンチに入るようなチームにしたくないだろうさ。」と。

娘の受験でも何回も挑戦する娘に「結果の全てを受け入れるんだ。いいな。」としか言いません。

エクスキューズ(いいわけ)を他人や社会にすり替える人間にだけはしたくないので。

だから、私は、一切感情的にならない、あまり褒めることも慰めることもしない、客観的な親です。まあ、母親はそうはいかず、一喜一憂ですかね。これもしょうがないですかね。

とは言え、子供をよく見ておくことは大事です。親は子育ての中で、気づきが欠かせませんね。本当にSOSが出た時は、その時、はじめて頑張るものなのでしょうね。川で溺れたら飛び込まない親はいないのでね。

 

母親は、子供と一緒に共感し、一喜一憂しながら生活して行くのでしょうが、父親はそういうものではないと考えますね。

父親は、父親を通して世の中や社会をみたり学ぶものだと考えているので。父親が間違えた世の中や社会をみせると、子供は、間違った世の中や社会を彼らの頭の中に作ってしまって、彼らに不幸の種を植え付けてしまうので。

 

もう、人生100年時代。何回就職するか分からないし、何回結婚するかも分からないし、そもそも結婚という概念も怪しいものだと。

だから、自分で考えて、自分にとって世の中にとって最善な道を選ぶことができる人間になってほしいですね。