で、報告書の最後は、やっぱり、最後は、経営者の情熱に戻ります。
そう、気持ちなんですよね。
でも、気持ちだけじゃね。だから、勉強して勉強して、努力して努力して、徳を積んで徳を積んで、健康で。
良いコンサルタントも忘れないですね。
(2018年8月20日のブログより)
「そう言えば、奄美で「本間さん、トヨタの話は聞いてないのか?って、今回の番頭塾に出ている人間に言ったんです。」と。」
そう言えば、奄美で「本間さん、トヨタの話は聞いてないのか?って、今回の番頭塾に出ている人間に言ったんです。」と。そうですね、まだ、言ってないですが、心配ご無用です。今度の番頭塾でお話しします。
トヨタははじめから自動車会社ではなかったということです。一人の経営者の熱意が全ての始まりです。もし、豊田織機のままであれば、当然、トヨタ車は世の中に一台も走っていないわけです。
分かりにくければ、「経営者が既存の考えに囚われず、新しいことに挑戦し続けた結果、今までの事業とは全く違う分野で世界的な企業が出来てしまった。」のです。ちなみに、富士通は、富士電気からのスピンアウトです。人によっては言うでしょう「本業を大事にしないと。」と。大事なことは、コア・コンピタンスであり、熱意であり、人であり、「夢」なのではないでしょうか。
番頭塾で、お伝えしたいと思います。
トヨタさんの話はこんな内容です。
話はここからで、そのテレビで最近、最もはまって何度も観ていたのは、TBSの「リーダーズ Ⅰ」と「リーダーズ Ⅱ」です。多くの皆さんもご存じの通りトヨタ自動車を愛知自動車とし、豊田喜一郎氏を愛知佐一郎として、国産車の開発にすべてを捧げた経営者とその経営者を支えた従業員及び関係者を描いたドラマでした。よくできていたと思います。
考えてみてください。豊田喜一郎氏がいなければ、今のトヨタ自動車がこの世に存在していないことを。もし、この稀代の経営者がいなければ日本の自動車産業は外資が占めていたかもしれないことを。もし、トヨタ自動車がなかったら、きっと日本は今の日本ではなかったはずです。自動車のように裾野が広い産業でどれだけの家族が未来をみれたことか。その出発が一人の経営者の「国産自動車を日本中、世界中に走らせたい。」という想いから出発していたことを知ってほしいです。たった一人の経営者の発想で日本を変えたのです。
ぜひ、機会があれば、TBSの「リーダーズ Ⅰ」と「リーダーズ Ⅱ」観てください。よろしくお願いします。
今の若い人の中には、トヨタ自動車が豊田織機からのスピンアウトだと知らない人が沢山いるんです。はじめからトヨタ自動車があったのだと思っている若い人がいます。私は、「全部、一から作ったのだよ。部品は数万点あり、それを地場の中小企業がトヨタと一緒に開発していったんです。」「販売店も同じです。」「輸出を始めた頃はハイウェーで故障したり、雨が降ると車が止まったり雨漏りしたりしていた。しかし、絶対にあきらめなかった。改善し改善し、ついには、世界NO.1の出荷台数を叩き出すまでになった。」「日本全国で人口減少が進む中、愛知県はそんなに減らない。なぜか? それはトヨタ自動車が雇用を生み、関連産業を育てているから。」と説明しています。
経営者の言葉は最大の教科書です。熱意のある経営者に導かれる法人に勤めている人たちは幸せです。熱意のある経営者を助ける経営企画室のメンバーを育てる仕事に意味を感じて頑張っています。4月20日からも楽しみです。
豊田喜一郎氏の言葉です
「困難だからやるのだ。誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。そこに人生の面白みがあり、また俺の人生の生き甲斐が、そこにあるのだ。出来なくて倒れたら、自分の力が足りないのだから潔く腹を切るのだ。」
「我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、日本のあらゆる民族産業が育ちません。それは別にトヨタでなくともいい。けれども現状のままでは、カナダがフォードのノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行う)に占領されて自動車工業など芽もないように….日本も同じ道をたどります。引いては日本の工業が全部アメリカの隷属下に入り、日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまいます。」
「今日の失敗は工夫を続けてさえいれば、必ず明日の成功に結びつく。」
「現場で考え、現場で研究せよ。」
「技術は金で買えない。個別の技術ですぐれたモノは海外から導入してもいいが、大きな技術の体系、産業としてのシステムは、自前で組み上げないと決して定着しない。」
「誰もあまりやらない、またやり難い事業をものにするところに人生の面白味がある。」
「発明は知識そのものよりも、それをいかに自分のものにしているかにかかわる。学校を出ない人が往々にして相当な発明をするのはそれ故である。これを世の人のために活用し得るまでには、いろいろな研究と大きな努力がいる。その努力の中に発明が生まれてくるものだと私は思っている。発明は努力の賜である。」