今日は、高松城の水攻めの跡です(仕事のついでですが)。常識に囚われない戦いが勝利をもたらしました。

この仕事をしていると、全国のいろいろなところに行くわけですが、今日は、空港まで行く途中、備中高松城の水攻め跡に行きました。1582年、ここに羽柴秀吉、黒田官兵衛、加藤清正、福島正則、小早川隆景、吉川元春がいて、兵士が双方あわせて8万からいたとは思えないほど、静かなところでした。

 

この城は、攻めるにはリスクが高すぎるとうのは、行ってみると分かります。では、どうしたか。秀吉は城ごと水で埋めてしまう手に出ました。結果、城主は切腹し、羽柴と毛利、双方の兵が、一切、血を流さず戦いが終わりました。

秀吉は、鳥取城では、城を囲みますが、その前に、田を潰し、青田刈りしました。そして、さらには、米を高値で買取り、戦わずして相手城主が切腹し開城したのです。

羽柴秀吉は、兵を失わないで戦う方法を常に考えていました(このころは)。そのために、考えて考えて、常識に囚われない方法を次々と編み出して、天下を平定してゆきます。

勉強になります。