昨日の夜は、敬愛する庄子さんと食事をしながら4時間半、話をしてました。WJU高山も一緒でした。

18:00 – 22:30 まで、ずっと、腰を据えて、いろいろな話をしました。楽しかったです。

「高山さん、私と庄子さんと榊原さんで、その人の尊厳と習慣の護ることの意味を大切さと尊さを、次の世代に伝えようというプロジェクトがあるの。これをなしに、『もっと、利用者と向きあう時間がほしい。』とか、『利用者にこんなサービスをしてあげたい。』ということに考えがいってしまう介護ではなくね。」と話をしました。

 

アセスメントということがあるわけですが、3人の間では「心のアセスメント」とか「尊厳のアセスメント」とか「習慣のアセスメント」が必要だと言っているわけで、その人がなぜその人になったのか、それを介護の中から理解して、そこを大事にケアをすれば、認知症でも、心安らかに暮らせる、と言っています。

 

ややもすると、今は、食事、入浴、排泄、などのケアの技術だけにフォーカスがあたり、「なんでこんな行動をとるのだろう?」「なんで私のことを叩くのだろう」「なんで、大きな声を出して、私を罵倒するのだろうか?」となる場合が多いのです。なんでそのなぞを解くカギは、尊厳、習慣にあるわけで、認知機能が落ちている利用者さんでも、そこに当たると、蘇ることがあるわけです。要するに、徘徊には意味があり、不穏にも意味があり、その原因を突き止めて、尊厳や習慣を護ってあげれば暴れることはないのです。

 

庄子さんから、そんな事例をいくつも、弊社の高山にお話しいただきました。幾つもの事例がありました。一つ一つ勉強になりました。人の心の奥深さを感じました。なんとか、拘束せず、虐待なく、その人らしく、残された時間が静かに過ぎていくように、利用者と介護職がお互いを理解して同じ空間を共有できればいいなと思っています。

 

ありがとうございました。